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2014/01/27

この投稿は、いずれ英訳するかも知れませんが、昨日に続き、戦争記念館シリーズ第三巻にある「靖国を救ったドイツ人神父」の秘話をご紹介したいと思います。
 
 
靖国神社はもとは東京招魂社として創建され、ペリー来航の年以来、二百四十六万余柱を祀っています。明治十二年に靖国神社と改められ、また敗戦後は国家護持から宗教法人になりました。明治維新から大東亜戦争に至るすべての戦没者を祀っています。
 
この著、「世界に開かれた昭和の戦争記念館」第三巻の副題は「恩讐の彼方」です。
各国家、各国民相互におけるそれぞれの歴史観、その認識はあまりに多様で、相違についての議論は平行線を辿るか、または対立感情を深めることにしかなりません。しかし互いの、交戦または交流にあって相互間に生まれた人間のドラマは、対立感情ではなく、共感、共鳴、あるいは友情を呼び起こします。これこそが恩讐を超えるものである、と。
 
 
「世界に開かれた昭和の戦争記念館 第3巻 大東亜戦争の秘話 (歴史パノラマ写真集) 」 名越二荒之助著 展転社 1999年11月 138頁より
「占領軍から靖国を守ったドイツ人のビッテル神父」
 
 
靖国神社が敗戦直後の混乱期に、占領軍総司令部(GHQ)の手で焼き払われる危機に瀕したことは知られている。しかし、マッカーサーを思い止まらせたのが、ドイツ人の一神父であったことを知る人は少ない。
 
その人の名は、ブルノ・ビッテル神父、当時はカトリック教会の神父で上智学院院長、GHQにより逸早く公認されたローマ法王施設でもあった。一八九八年ドイツでも名門に数えられるビッテル家に生を享け一九三四(昭和九)年九月に来日。
 
因みにヒットラーの有名な山荘、ベルヒテス・ガーデンはビッテル家の遺産を接収したものである。
 
昭和二十年十月、ビッテル神父のもとにマッカーサーから一通の覚え書きが寄せられた。「司令部の将校たちが靖国神社の焼却を主張している。キリスト協会は賛成か反対か」との内容を読んだ神父は、ただちにある決意をもって各派の同意を得た上で答申する。それは敗戦の痛みを知るドイツ人らしいものだった。
 
「戦勝国か敗戦国かを問わず、国家のために命を捧げた人に敬意を払うのは自然の法であり、国家にとっては義務であり権利である。もし靖国神社を焼き払ったとすれば、犯罪行為であり、米軍の歴史に不名誉きわまる汚点を残す」これが、神父の回答である。かくして異教徒の意見を利用して神社を焼こうとしたGHQの悪計は土壇場で阻止された。
 
神父はまた、極東軍事裁判のウェップ裁判長に裁判それ自体の合法性を問い、キーナン検事にも「日本人にとって天皇とは」を教えている。
 
敗戦国日本の恩人である神父の功績が、多くに知られぬままに忘れさられるのを恐れた朝日ソノラマの伊奈多喜男社長(当時)は、熱心な説得を重ね聞き書きに成功した。それが同社刊「マッカーサーの涙」(昭和四十八年)である。神父の面影を後世に遺す唯一の伝とも言うべき同著に本稿もまた多くを負っている。
 
昭和二十年十一月二十日、招魂祭が「大日本帝国最後の慰霊式典」として昭和天皇の御臨席のもと挙行された。「神道指令」が発令される実に二十五日前の御親拝であった。
 
 
 
 
私事ですが、読むにつけ己の不勉強に身がつまされるわけで、なるべく共有したい、と。ただそれだけです。
 
編者の名越氏の刊行の目的が冒頭に記されています。十五年前の言葉です。
 
「本シリーズの狙い
 
①戦後日本では、全国各地に「平和」の名を冠した記念館が建設された。それらは我が国が「侵略国」であり、「加害国」であり、アジア諸国に迷惑をかけた、という謝罪的雰囲気が根底にある。
   見るに見かねた人たちが、写真の間違いや、文章表現の偏向性を衝いて、修正を要求する運動を起こした、たしかに部分的に修正は実現した。しかしそれは部分的修正に過ぎず、全体は相変わらず、加害と贖罪を主題としている。やはり日本の立場に立ったものを、我々自身の手で新しく作るよりほかない、そういう声が各地から起こった。
   それに応えることが、本シリーズ製作の大きな動機であった。
 
②それでは世界各国はどんな記念館を作っているのか。各国を廻ってみると、「平和記念館」なるものを目にすることはできなかった。どこの国でも、あるのは「戦争記念館」であり、「軍事博物館」であり、陸・海・空軍の名をつけた博物館であった。これらはいづれも国家予算を投入した壮大な規模で、国家としての立場や、国民としての誇りを主題とし、防衛精神や軍事知識を高める配慮が行き届いている。
 特にここで印象に残った点を二、三挙げておきたい。
 韓国の戦争記念館は、「護国の殿堂」とも呼ばれ、「英雄追慕室」から入る。オーストラリアの場合は「英霊鎮魂の霊場」の観があり、敵国であった日本軍人の遺品も、敬意をもって展示している。それにアメリカの場合は、日本軍の勇戦を讃える配慮も見られる。
 
③我々が戦争記念館を作るとしたら、昭和の動乱を生きた日本の国家的立場と、栄光と英雄の歩みを根底に置かねばならない。とくに大東亜戦争の場合は、空前のスケールを持った民族体験であり、世界市場においても前例のない数々の遺産を残した。その積極的役割を謳いあげるとともに、「昨日の敵は今日の友」の精神をもって、敵国の立場も理解し、勇戦にも敬意を払う。
 すなわち「世界に開かれた昭和の戦争記念館」にしたいのである。
 
④現在わが国では、各国並の壮大な「戦争記念館」の創設は期待できない。しかし調べてゆけば、昭和の時代は感動秘話の宝庫である。せめてそれら貴重な資料を掘り起こし、博物館風の写真構成シリーズ(全五冊)として完成させたい。若者に視覚を通じて訴え、後世に記念館として甦ることを念ずるのみである。  」
 
 
閉じていた目を開きましょう。日本を愛する日本人として、本来の日本を取り戻しましょう。敗戦したからと云って自信を失わず、卑屈になることなく、堂々としましょう。私達は決して誇りを失わず、先達の偉業を感謝し、回想し、伝えていきましょう。名越氏の著作を読むとその思いが強くなります。
 



by wakeup4japan | 2014-01-27 23:41